昭和45年03月03日 夜の御理解



 只今、ご祈念にかからせて頂く前に、田中さんが、このおかげの泉ね、皆さんお読みに成って居られる、この扉に「神様でも御霊様でも同じ。真心と言うものは、一本勝負、やり直しは利きません」と言う是れを、まぁあちらのご主人がご覧になってました。こりゃお前おかしいじゃないかと。まぁやり直しが利かんと云うならもや、どげんなるかと。まぁそう云う感じで、是れを聞かれた。
 しかし、そう云う風にあの、追求されて居ると云う事は素晴らしい、此処の御信者の中に是れはどう云う意味か、意味でしょうか?と言って訪ねた者は一人もありません。実にそれは、穿ったまたその、質問だと思うんです。だから田中さん自分自身が分からんもんだから、まぁ返答に困ったと云う訳なんですね。是れは、例えばこう頂いた、もう瞬間感じる事は、もう頂いただけで、訳解らんなりに有り難いって感じですね。
 信心頂いて居る者ならば。真心と云うものはもう一本勝負。やり直しは利きません。もうそれだけで、ただ、例えば真心と云うものはどんなに大事なものかっと云う事を解らせられるだけであって、やり直しが利きませんなら、どんこん出来んと云う風に。是れは一つの理屈ですけれども、けれどもねそれを追求されると云う所に、私は田中さんの御主人の、まぁ言うならば信心に、ある意味での信心の追求と云うか、求める求道と言うものが有る証拠だと思うんですね、求めて居られるのですから。
 是れはどう云う事かと言うとね、あの、真心と云うものは何時もいい加減なものではない。それじゃもう真心じゃない。もうこん位で良かろうっと云う時に真心はないのです。ですから、真心と云うものは何時もが、例えばこれ一本勝負と同じ事ですね。あの一生懸命でなからなければならんと云う意味なんです。是れはね一生懸命でなからなければならんと言うもの。なら一生懸命と言うのは何かこう、はりきった、そう云うものではない。その思いの丈ですからね、自分の。
 まぁ例えば一万円金銭で一万円のことを例えばしてもです、まぁ大体はまぁ一万二千円方ばっかりのつば、するとまだいいばってんと、まぁまぁ良か良かっと言う時にはすでに真心が欠けとる時です。それが例えば十円のお賽銭だってです、本当に相済みません、今日は五円しか無いです。五円しか入って済みませんけれどもと言うて、その思いを込めたらもうそれは、もうそれでいっぱいなんです。
 もうその拝むだけで、まぁ言うなら叶うとる訳でしょうが。なか、今日は入って、無かっちゃけんで、もう是れで良かっと云う所にはもうその五円は死んでしまうです。ね、ですから、何時もが信心にはね、これ一本勝負と同じ事です。ならね、その時にだからもう負けたら、やり直しはもう利んでしょうが、一本勝負と言うものは。初めから言うちゃるもん、一本勝負ぞと。だから、もう勝つか負けるか決まってるです。
 ちゃんと。だから其処で負けたとこ、負けたからです、なら今度は負けてはならんと云うて、次の時にそれを思いを変えると云う事は出来ますけども、その時はもうすでに負けとるから、やり直しは利かんでしょうが。だからそう云う意味なのですよ。どうぞ、あの御主人にはそう云う風に、説明をしてあげて下さい。勿論やり直して行かなければならんどころではありませんけども。
 もう一本勝負と言うものが、さぁ今度の勝負は一本勝負ぞ、と言われたら負けたからと言うてですね、負けたからと言うてま一遍お願いしますち言う訳にはいかんのです。と言うように、やり直しは利かんと云う。だから今度はなら、この次に又一本勝負をする時には、今度は勝たなければならん。と云う時に、思いの丈が込められとかなければならんと。だからもう言うなら。これを頂いただけで信心がある者の。
 なら訳は解らんなりに、はぁ本当にそうだなぁと解るところなんですけどね、例えば理屈で解ろうとすると、やり直しが利きませんっち言うなら信心などんこん出来んち、言うなら感じが致しますけれども。とにかく其処に一本勝負という言葉を使って有る様に、一本勝負ぞと決められたら、もう一本勝負なのですから、次のまた一本勝負をする時に負けん様にと云う思いを中に込めたら良い訳なんですよね。
   どうぞ。